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忍者 コラム

ジャニーズの忍者を解散させない方法を探せ!

投稿日:2016年7月6日 更新日:

先日、ひさびさに「バックトゥザフューチャー」という映画を見ました。タイムマシンに乗って過去や未来に行き、歴史を変えてしまう…といった、名作ですね。

もし、今。タイムマシンで20数年前(過去)にタイムスリップし、ジャニーズ事務所に所属していた、伝説のグループ「忍者」の未来を変えられるとすれば?解散させない方向に導いてみたい。

今回は、「忍者を解散させない方法を探せ!」と題し、脳内タイムスリップをしてみたいと思います(ちょっと真面目に、そしてちょっとふざけてます)。

ちなみに、戻るタイミングは、忍者の運命を変えたと思われる、それぞれのターニングポイントです。では、タイムスリップ。

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Contents

ジャニーズのグループ 忍者の年表

その前に、ざっくりと時系列を年表として残しておきます。


忍者 [VHS]

1988年〜1989年 グループ名は少年忍者。1987年デビューの光GENJI、1988年デビューの男闘呼組とともに、「少年御三家」と呼ばれ、3つのグループでコンサートなどを行う。しかし、この3組のなかでは、少年忍者が一番初めに結成されており、一番早くデビューできると思っていた。
1990年 春に古川栄司が加入し6人に。8月、キャッチフレーズは「世界は忍者を待っている」、シングル「お祭り忍者」でデビュー。水雲シングルと陽炎シングルに分かれており、オリコン週間順位は別々だったため、中途半端な順位になってしまった(このあたりもつくづく運がない)。翌年発売の「リンゴ白書」「おーい!車屋さん」とともに、美空ひばり三部作と呼ばれる。このあたりまではよかった。

  • 「お祭り忍者 水雲」3位
  • 「お祭り忍者 陽炎」10位
1991年 10月に発売した4枚目のシングル「秘・美・子」において、A面を「秘・美・子」にするのか、B面の「REPLAY」をA面にするのかで、レコード会社の日本コロムビアと揉める。レコード会社はREPLAY、メンバーは秘・美・子を推し、結局、秘・美・子がA面となった。

  • 「リンゴ白書」9位
  • 「おーい!車屋さん」12位
  • 「秘・美・子」17位
1992年 シングルが発売されるたびに、ずるずると、オリコンチャートの順位が落ちていく。そして、6枚目シングル「ハラショ!」ここで投入されたのが、秋元康。おニャン子クラブやAKB48で世を席巻させた名プロデューサーである。しかし、これまでの曲調と趣旨を変えた「涙 涙のカラオケボックス」により、アクロバティックなダンスが魅力だった忍者の魅力が封じられたか?トドメを刺すように、売れ行きが悪くなる。あの秋元康唯一の黒歴史であるが、忍者自体が消えてしまっているので、触れられることがない。

  • 「君に御中」21位
  • 「ハラショ!」20位
  • 「涙 涙のカラオケボックス」49位
1993年 そして、「そーれハラペコハラペコダンスだ!ペコペコーイ!ハウス!バーモントッカレー!」のCMでお馴染みの、「Harapeko」を最後に、メンバー古川と古賀が事務所を去る(契約されなかった)。

  • 「日本」48位
  • 「日本ブギ」37位
  • 「Harapeko」37位
1994年 前年のジャニーズ野球大会までは光GENJIやSMAP、TOKIOらと共に参加していた忍者だが、1994年のジャニーズサッカー大会から姿を消す。4人として活動再開し、ワールドスーパー4バレーのテーマソング「DO YOUR BEST」を歌う時のみ、なぜか「四銃士」というグループ名に変わる。

  • 「DO YOUR BEST」59位
1995年 グループ忍者として歌を歌う最期の時期。最後のシングルは、なんとオリコン100位を割ってしまう。いい歌なのに。

  • 「モンキー・マジック」69位
  • 「たとえ君が嘘をついても」100位圏外


Hi La Ri

 

1994年 古川栄司を太らせない編

さて、タイムマシンに乗って、1994年にタイムスリップしてやってきました。

古川のクビを阻止する

忍者は1990年に6人組グループとしてデビューしましたが、1994年に内2人が契約更新されず、メンバーが4人に減ってしまいます。

契約されなかったメンバーとは、古川栄司と志賀泰伸の2人です。契約更新されなかった理由は、

  • 古川栄司→太りすぎた
  • 志賀泰伸→デビュー前に結婚していたがジャニーズ事務所に内緒にしていた

というものです。

過去にジャニーズ事務所でデビューしたグループのメンバーで、契約更新されなかった、あるいは解雇されたという例はいくつかありますね。

たとえば、男闘呼組の高橋一也は、メリー喜多川への反抗的態度により1993年に解雇、同時に男闘呼組は解散しています。KAT-TUNの田中聖も禁止されている事務所外の活動をしていたり、タトゥーを入れたりということで、2014年に解雇されたのは記憶に新しい。他にも、不祥事で解雇されたケース(NewS、Hey Say JUMPの一部メンバー)はいくつかあります。

しかし、忍者の古川栄司の「太りすぎた」から契約更新されなかった、というのは、今から考えると笑えますね(笑 いや、笑えないのか。

古川栄司はキーマン

忍者の6人のメンバーのなかで、古川栄司というメンバーは、中心メンバーでした。

今でいう、分かりやすくいえば「センター」。まあ、6人グループだから厳密にど真ん中になることはないですし、キスマイやジャンプほどグループ内格差があるわけでもありません。しかし、デビュー当時からCDジャケットでも古川栄司君は「メイン」で写ってたんですよ。

そんな中心メンバーがクビになっていなくなったわけです。

もともと、忍者はデビュー前、少年忍者というグループ名でジャニーズ.Jrとして活動していました。少年隊のバックでメインで踊ってたんですね。その時の少年忍者は6人だったり、5人だったりするわけですが、古川栄司は少年忍者のメンバーではなかったんです。その時は、平家派というグループに属していました。TOKIOの城島、山口、国分、V6の坂本、反町隆史らがいたグループですね。

少年忍者が忍者としてデビューするタイミングで、平家の古川栄司は、忍者に加入しました。今のジャニーズで分かりやすくいえば、4人組のA.B.C.に、橋下良亮君が加入してA.B.C.-Zになった、みたいな感じ。厳密には違いますが、まあ、今で例えるならそんな感じです。忍者のメンバーの中で最年少でしたし。

個人的には、この古川栄司というメンバーは、かなりのキーマンだったように思います。つまり、その後、忍者が活動していくなかで絶対に必要だった。6人のなかでも歌声は一番透き通っており、万人受けしそうだし、顔面偏差値も高かった。これはわたしの個人的な感覚論ですけどね。

つまり、1994年にタイムスリップしたわたしは、古川を残すため、ダイエットさせる必要があるということですね。現代からライザップを持ち込み、専属のパーソナルトレーナーをつけて、徹底的に体を絞ってもらいます。これで、古川栄司はクビにされないで済むでしょう!

「Harapeko」は発売中止


あと、シングル「Harapeko」は発売取り止めです。「ハラペコは〜!(ハラペコは〜!)ご飯が美味しく食べられるぅ〜!(食べられるぅ〜!)」なんて歌詞を歌っていたら、そりゃ食べたくなるに決まっている。古川が太って解雇される前の4人のラストシングルが、なぜこの曲だったのか、謎すぎる。

 

1993年 秋元康に喝を入れる編

「発明したよっ!タイムマシンを〜!黄色と緑のボタンを押そーう!」、ということで、今度はタイムマシンで1993年にやってきました。

この時期は、秋元康プロデュースの、「ハラショ!」「涙 涙のカラオケボックス」「日本」で、大きくオリコン順位を落としてしまった。いや、個々を見ればいい歌だと思う。

しかし、歴代ジャニーズでもトップクラスのダンスを誇る忍者に、「チャオ!人生なんて〜」「ああー日本ああー日本、この国に生まれてよかった〜」の二連続はないだろう。

あなたが未来に作る、AKBの曲、ひとつください

秋元康さん、いいですか。あなたは今から20年後、ポニーテールとシュシュ、カチューシャ、フライングゲット、どれもこれもヒット作を生み出す。お願いです、どれでもいいから忍者にください!

ということで20年先のAKB48の曲をもらい、忍者のシングルCDとします。これでなんとかオリコン20位前後をキープ!

 

1991年 4枚目のシングルは「REPLAY」にしよう編

美空ひばりのアレンジ三部作「お祭り忍者」「リンゴ白書」「おーい!車屋さん」の次、4枚目のシングル。

現実ではここで「秘・美・子」というシングルがリリースされましたが、このシングルはB面の「REPLAY」をA面にしたいレコード会社の日本コロムビアと、「秘・美・子」をA面にしたい忍者メンバーとの間で揉めた末に、「秘・美・子」がA面でリリースされました。

メンバーは「忍者らしさ」にこだわったようですが、結果論も含め、ここは「REPLAY」をA面にするのが正解だったと思う。デビューからのシングル3枚は、(いい歌ではあったけれども)イロモノっぽい感じだったからこそ、4枚目は「REPLAY」で正統派アイドルの方向性・可能性もあることを示すべきだった。いやいや、俺らどっちでもいけますよ?と。「えんやこらせ〜のドッコイセ!」「笑っチャイナ!」もいけるし「オモイダマ」も歌っちゃう関ジャニ∞みたいな。

日本コロムビアの社員も、そこに気づいていたのではないか?「REPLAY」の爽やかな曲調からいえば、この時代に流行っていた、トレンディドラマのエンディング・タイアップさえ取れそうな気もしてくる。

「姫魔性、秘・美・子〜!相思相愛ひーみーこー!」「クレオパトラ、ジャンヌダルク、小野小町、楊貴妃さえ、ああ、みーんなーいーろなしーーー」はさすがに世間的にはクドかったのではないか。おいおい、いつまでやるんだ、と。忍者は、どこにいくつもりなのか、と。

 

これで未来は変わるのか?

かつて、忍者のデビューシングル「お祭り忍者」のカップリング曲「See You Again…!」の間奏で、少年隊は言いました。「これからは忍者の時代だー!」

過去にタイムスリップし、以上の施策を実施して、現代に戻ってきたとき。忍者は現役ジャニーズとして、グループとして活動しているのか?それはわかりません。

しかし、もしかしたら、忍者の文字がJohnny's net(ジャニーズの公式サイト)の少年隊とSMAPの間に残っているかもしれない、と思うと、不思議ですね。


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